由緒正しきエロティック

やさしくまるく たまにぎざぎざ ★ twitter→@george_46

感想狂詩曲-バレンタイン前日に愛を語る-

2015年2月13日に書いたブログを加筆修正して再掲しています。
 
感想文って、難しい。
 
小・中・高校にわたって、きまって夏休みの宿題に出る《読書感想文》が苦手だった。
 
読書は好きだし、「おもしろかったなあ」と確かに感じながら読み終えたはずなのに、
「じゃあ、どこがおもしろかったの?」
と聞かれると、途端に詰まってしまうのは、なぜだろう。
『おもしろかった。』だけでは、400字原稿用紙3枚は埋まらない。あらすじで文字数をかさ増しして、だましだまし提出した。
 
――読書感想文がうまく書けるようになりたい!
 
小学校高学年だった私は一念発起した。
 
今もあるんだろうか。当時は《読書感想文コンクール作品集》という、読書感想文の優秀作品を集めた作品集があった。
四の五のいわず、こういうときは先人に倣えだ。
 
最後まで読んだ。
そして、衝撃を受けた。
 
なぜなら、掲載されているほとんどの作品が
『《読書感想文》という名目の自分語りの作文』だったからだ。
 
《読書感想文》は純度100%、本への感想文でないといけないと思いこんでいた。
だがほとんどの掲載作が、冒頭2割があらすじ、7割が本の内容に絡んだ人の身の上話、締め1割で本の内容に少し触れておしまい。
本来中心でいなければならないはずの本が思い出話の引き入れ役でしかないことや、
「これが《よい読書感想文》とされている」ということが、当時の私にはとてもショックだった。
 
受け入れられなかったから、参考にするのはやめた。
 
結局毎年あらすじで文字数をかさ増しした読書感想文でやりすごした。読書感想文で表彰されている子がうらやましかった。
作品集は、あの日以来読んでいない。
 
◆◆◆
 
時代は変わり、私はすっかり大人になった。
夏休みに読書感想文を書けと宿題を課されることもなくなった。
しかし、《読んだ本の感想》は学生時代よりも、今のほうが断然書いている自信がある。
 
そう。同人誌の感想です。
 
もちろん本だけに限らず。サイトで拝見した絵。pixivで読んだ小説。Twitterで見た考察。その他もろもろ。
同人界は、たいへん感想を書く機会に満ちた場所だと思う。
感想を書くきっかけになる媒体も多種多様なら、送る方法も多種多様だ。お手紙、メール、拍手、最近ならマシュマロやお題箱、pixivメッセージ、ブックマークコメント、Twitterのリプ、DM、LINE。挙げた方法はすべて使ったことがある。場数もまあまあ踏んでいるはずだ。
しかし、《うまく書けているか》を問われると、針を刺された自転車のタイヤみたいに、しょぼぼと自信がしぼんでいく。
 
◆◆◆
 
2014年、年末。
とある素敵な小説を読んだ。読むたびに胸がどきどきしすぎて、一日一作品ずつしか読めなかった。
そんなの初めてだった。
 
感想を書きたい。いや、書かないといけない。
どうしてもこのたぎる想いをお伝えしたい。
でも、書ききれる自信がない。
 
だから、読書感想文の武者修行に出ることにした。
ネットでひたすら読書感想文の書きかたを検索しつづけた。
「読書感想文 書きかた」で検索するとザクザクと引っかかったので、それを片っ端から読んだ。が、どれもこれも、しっくりこなかった。
 
『コンクールに引っかかるような書きかたをしよう!』
コンクールは引っかけにいくものだったのだと、私はこのときはじめて知った。
 
『本の内容に絡めた、自分の体験を書こう!』
いや、ちょっと待って。その方の小説に絡めた自分語りを送りつけるとか、どう考えても迷惑だ。
私が書きたいのは、《同人誌の感想》なんよ。
 
かつての自分が反発心を抱いた《よい読書感想文》の書きかたのノウハウたちがずらずらと並んでいた。つまり、《「大人の目のふるいにかかるには」いい感想文》の書きかただ。
読書感想文の書きかた講座に限らず、書籍紹介サイトなどもがむしゃらに読んだ。
そして、ある程度数を重ねたころからうすうす気づき始めた。
 
《自分語りを必要とされない》感想文。
《一から十まで「本の感想」である》感想文。
 
 
同人誌の感想文こそ、かつての私がこうあるべきだと信じていた
《純度100%の読書感想文》
なのではないか?
 
 
12年間にもわたる学生生活で成し遂げられなかったこと。
そんなもの、簡単に書けるわけがない!
 
 
「書いた同人誌の感想文を送る」点において、一番問題となる部分があります。
その感想文を読むのが、同人誌を書いた作者さん御本人だということです。
 
学生時代書いていたかたちの読書感想文を、作者の先生が読むことはほぼほぼない(と思っている)。あくまで目を通すのは選考に関わる人たちだけだ。だから、あらすじを書いて文字数を稼いだぺらぺらの感想文を提出しても、正直心は傷まなかった。
しかし、当たり前ながら同人誌の感想は違う。
「作者さん」と「感想文を送る私」は、『対面』する。初対面の方なら、100文字なら100文字分の、1万字なら1万字分の「感想文を送る私」が対面する。
逆にいうなら、「送った分の私」だけが、作者さんと『対面』できる。
 
◆◆◆
 
武者修行を一応終え、七転八倒五里霧中で感想文を書き進める過程で、私はまたうすうす気付き始めていました。
 
「そもそも、《同人誌の読書感想文》は、読書感想文ではないのではないか」
 
ここにきて問題の根本を覆す発想。これまでの2000字はなんだったのでしょうか。
違和感を感じ始めたきっかけ。
 
・感想のいたるところに「好きです」という言葉が散見していた。
・それに対して、「自分、めっちゃ気持ち悪!」と思った。
 
気持ち悪いって、どうしてだろう。
語尾にゲヘヘへとか書いてるわけじゃないし、一応文章としては一般的な体裁を保っているはずだ。しかし、気持ち悪い。
では、なにが気持ち悪いのだろう。
 
 
あっこれ、文面に込もっている《愛》が気持ち悪いんだ!
 
 
少し書き進めては読み返し。書き終わってからは読み返し。
この表現で気持ちは伝わるだろうか。
伝えたいけど、伝えすぎて引かれないだろうか。
どうせ全文気持ち悪いんだから細部を直したところでどうしようもないことを自覚しつつも、数えきれないぐらい手を加え。
可愛がっていた日本人形に魂が宿って髪の毛が伸びたり涙を流したりするようになる怖い話とかよくありますが、そんな感じで、文章も執着を持ってこねくりまわしているうちに、怨念じみたものが宿ってくる。ものによっては、狂気を感じるような…。
なるほど。その重い愛がきっと気持ち悪いんだ。
 
 
とどのつまり、感想文というよりはコレ、《ラブレター》なんだ。
 
 
《純度100%の読書感想文》とは、読書感想文にあらず。
ラブレターだったのです。
読書感想文の書きかたを学んでも、そりゃしっくりこないわけです。
立つステージ間違ってた!
 
 
ラブレターを書く際、大意は「渡す相手自身のプレゼンテーション」になることが多いと思います。
渡す相手本人に、相手の素敵なところをプレゼンテーションする。
ほら、この時点ですごく同人誌の感想っぽくないですか?
私はあなたのここが好きです。あなたのこういうところを尊敬しています。あなたがいてくれるから世界がハッピー!
 
 
同人誌を書くときの、独特の気恥ずかしさ。
私は感想を書くたびに毎回「死にたい……」って言ってしまうんですが、
「どうして気恥ずかしいのか?」を考えた末に、重すぎる愛もさておき、そのプレゼンテーションにどうしても書き手の自分の好みとか、性格とか、解釈とか、性癖とか、自らで自らを語る以上に滲み出てくるからではないか、と感じました。
同じ本を読んでいても信仰するCPが異なるように情報をキャッチする脳みそは十人十色ですし、幾重にもかかったフィルターが「二人が部屋で話ししているシーンが一番可愛い!」と感じさせるかもしれないし、「キスシーンが一番!」と感じるかもしれないし、「乳首!!!!!!」ってさせるかもしれないし。
私はピンと立った乳首のトーンにツヤの削りがあるとめっちゃ興奮する。
 
 
渡す相手(作品)のプレゼンテーションをしていたはずが、最高に自分の性癖暴露の場所にもなってしまう。
ラブレターである以上、相手のことを心から思って書いているはずなのに、同時に自分を映す鏡にもなりえている。
だから死にたくなるくらい気恥ずかしい=恥ずか死してしまうのではないか。
 
と同時に、不安も生まれてきます。
 
「これは相手の心を打つのか?」
 
感想を書いているとき、人は孤独です。感想を書く行為は「この気持ちを伝えたい」の自己満足の極みではありますが、送るかぎりは相手の心のミットに当てたい欲が湧いてきます。
しかし「感想文は己を写す鏡」の点を踏まえて、
「自分(読者)としてはここの良さを伝えたいけれど、相手(作者さん)は本当にここを見てほしかったのだろうか」
という疑問が、どこからともなく振ってきます。
 
「『書いた文字の分量分の私』だけが、作者さんと対面できる」
という旨を先述しましたが、
「作者さんが私の告白を傾聴してくださっている、限られた貴重な時間で、自分は的外れのプレゼンをしてしまっていないだろうか」
たとえば自分が営業マンだったとしたら、掃除機がほしいお客さんに洗濯機を薦めていないだろうか。そんな不安にかられてしまう。
 
◆◆◆
 
さあ。
ここまでこの文章を読んでくださった、菩薩のような方がどれだけいらっしゃるのか、私はそっちのほうが不安になってまいりましたけども。ありがとうございます。
 
「もうそろそろ、どうしたらいいのか具体的なアドバイスがくるんじゃないか?」
と期待して、ここまで読んでくださった方がいたら、大変心苦しいのですが。
 
 
そんなもん私も知りたいわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
結局、疑心暗鬼になりながら、気持ち悪すぎる自分に苦しみながら、下書きをまるごと消したくなりながら、便箋を破り捨てそうになりながら、親の仇のように読み返しながら、送ったあと後悔で地をのたうち回りながら、
自分たちはそれでも、感想を送り続けるしかないのだと思います。
これまでの文章はいったい何だったんだ、というツッコミがほうぼうから聞こえてきますが……。
 
送るかぎりは相手の心のミットに当てたい欲の話。正直、あくまでおまけみたいなものだと思っています。もちろん、感想を送る際、作者さんが目を通されることを第一に作者さんの心を尊重した感想を書くのは大前提です。作者さんが作品に込めたものを、自分なりに拾って伝える。大事なことです。
でも、そこで「相手の機嫌をとるだけの感想」になってしまったら……。それは《純度100%の読書感想文》ではなくなってしまう。
コンクールに引っかけるために書く読書感想文と同じになってしまう。
 
あくまで自分に限る話ですが、
「この感想を読まれて、ドン引かれて、絶縁されたとしてもどうしても伝えたいから送る!」
という気概で感想を送ることにしています。
いや、実際絶縁されたら泣いちゃうけど…。
 
壊れるほど愛しても、1/3も伝わらない。そこまでして1/3も伝わらないなら、送る側の性癖暴露の恥ずか死なんて、どうってことないんです。
いや、本当は膝が震えるぐらい怖い。怖いんですけど、それでも伝えたい思いがあるなら、静かに腹をくくって、エレガントにコートの下をお見せするしかない。
 
◆◆◆
 
感想文について考える機会を与えてくださった作者さんに感想のメールを送ったのは、書こうと思い立ってからしばらく経った12月末でした。
年末という多忙な時期にお送りしてしまったので返信不要の旨は記載していたのですが、新しい年が明けて数日後、ありがたいことに相手の方からお返事をいただきました。あまりに嬉しすぎて、反射的にブラウザを閉じてしまい、1時間ぐらい見なかったことにしたのを覚えています。
 
忘れるように努めていた自分の書いた気持ち悪い感想文を記憶の地獄谷から引っ張りだし、走馬灯のように振り返りながら(「うわ、やっぱ気持ち悪っ!!」)、いただいたお返事を恐る恐る開きました。
お返事には、
「自分の作品は、人の需要とは違うと思いながら書いている。読んでもらえていると知れて嬉しかった」
とつづってくださっていて、号泣しながら読みました。
 
 
感想、書いてよかったなあ。
心の底から思いました。
 
 
需要と違うだなんて、とんでもない。
だって自分は、その方の作品が好きで、好きで、好きで、好きで仕方なくて、だからこそ感想を書かずにはいられなかったのだから。
「あなたの作品が大好きです!」
その気持ちが伝わったことが、なによりも嬉しかった。
それさえ果たすことが出来たならば私は、性懲りもなく恥ずか死から生き返ってきてしまうのだ。
 
◆◆◆
 
感想文は、本当に難しい。
それでも。
 
これからもきっと下手くそなラブレターを書いては、作者さんに送る行為を続けていくのだと思います。
だって、その方自身の魅力を、どうしても伝えたいから。
自分はあなたのこんなところを心から素敵だと思っていて、尊敬していますということをいいたくて仕方ないから。
自分よがりで、勝手かもしれないけれど、どうしても私は、プレゼンテーションがしたいのです。
 
 
純度100%の愛で!
 
おわり(5,260文字)

食べられなかったドーナツの話

《弊社》には、エネルギッシュな人が多い。
《弊社》はバリバリの営業会社である。数年前あまり大きな声では言えない理由で《かつて弊社だったもの》は現在の《弊社》になった。元々《かつて弊社だったもの》、かつて入社したはずの会社は技術ギークの集まりのようなド文化系会社だったが、紆余曲折後、社風が一気にド体育会系になった。

自分だったら行けと命じられた時点で即退職するであろう過酷な研修を経てなお在職している超戦士の集まりである営業部は、同じ人類であるのが不思議に思えてくるほどのアクティブさである。気付けば《かつて弊社だったもの》出身の社員はほぼいなくなっていた。
つまりここ数年、私はずっと肩身が狭かったのである。


先日、午後三時ぐらいだったろうか。
その日は出勤日だった(出勤とリモートワークが半々の生活をしている)。パソコンに向かって作業をしていると、「城田さん」やさしい笑顔を浮かべた総務のAさんが手招きした。

「社長から差し入れです。どうぞ」
 
指差された先には、某クリスピードーナツのどデッカイ箱が置かれていた。見ていると催眠術にかかりそうなぐらい隙間なくみっちり並んだドーナツ。もちろん個包装などされていないドーナツ。
若く、力が有り余っている営業戦士たちが、
「わあ! ありがとうございます! おいしそう!」
と次々手にとっては軽々ぱくついていく。
私はというと、箱の前で立ち尽くしながら、完璧に""理解""した。


――あ、私、ここにいるべき人間じゃないんだ。


「余りそうだから、もう一つ食べてもいいですよ」
「本当ですか。やったあ!」
営業部の面々の楽しそうなやりとりが私の頭上を飛び交っていく。「ありがとうございます」グレーズがどっさりかかったドーナツは昼食でお腹いっぱいの身では到底食べられなかった。私はドーナツをそっとティッシュで包んだ。


日が代わり本日、リモートワークをしていたら、夕方ごろ小腹が空いた。買っておいたお得用のかりんとうをざらざらと皿に出し、ぽりぽりと齧る。
ちょうどいい、自然の甘さ。ちょうどよい、量。
思わずほっとした。
私はあの日、あのドーナツを食べられなかった。それはかつてうまくいかなかったいかなる仕事の失敗よりも、ハッキリとした《戦力外通告》だった。


実は、近々、《弊社》は《弊社》ではなくなる。
新しい環境が、かりんとうのような場所でありますように。
そう願うばかりである。


おわり(1000文字)

拝啓、-会社の先輩へ-

【2013年12月13日に書いたブログを再編集の上、再掲しています。】

 

寒さもひとしお身にしみる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
社畜っぷりは相変わらずですが、おかげさまで、私も元気に暮らしております。

 

さて、この度、最近ほぼ毎日顔を合わせているにも関わらずこの様に改まって手紙を書いているのは、先輩に謝りたいことがあるからです。

 

先輩は、とても優しい人ですね。
厳しい人でもありますが、それは仕事に対し、実に真摯に向き合っているから。
私の過ちであっても、叱った後には必ずフォローしてくださるし、相談や質問にも答えてくださる。目標の為にとても辛い局面であっても折れない。常に周りの状況に対し、配慮を欠かさない。
私ごときには勿体無い、素晴らしい先輩だと思います。

 

「城田、疲れてる? 目が二重になってるけど…」

 

今日も仕事中、この様に声をかけて下さりましたね。
私は、生来奥二重です。ですが、目が疲れると、どういう原理か二重になります。
以前、どこかのタイミングでポロリとこぼした、そんな些細な個人情報も、先輩は心のうちに留めてくださっていたのでしょう。そして、私の目が二重になっているのを見て、もしや疲れているのだろうか、と心配してくださったのです。
先輩の鋭い洞察力、忙しい中でも声をかけてくださるその御心の深さ。
私の胸は、感動に打ち震えました。

 


すみません先輩、これアイプチです。

 

 

【追記】

これは置いていった先輩とは別の先輩。結局、新卒で入った会社は激務のため一年で退社してしまったので、8年経った今でも私が運転したことのある車種は教習車、2トントラック、軽トラのみです。辛いことも多かったですが、のちの人生で話のタネにはなりました。

ポンコツの宅急便

【2013年11月10日に書いたブログを再編集の上、再掲しています。】

 

すこし坂になっている道に、2トントラックを駐車したときの話なんですが。

 

三宮っていう、兵庫県有数の繁華街に、仕事で行ってまして。
その日はあっちいってこっちいってとバタバタと移動せねばならない日だったのですが、まあ、とても焦っていたのですね。時間の制限とかあって。

 

ヤベッ! ってキーを抜いて車を飛び降りて、ドアの鍵をかけてダッ! と走り出したのですが、
車の後ろを抜けようとしたときにですね、なんかね、なんかも、視界の端でダッ! って駆けだしたんですね。


停めたはずのトラックがね、こっちに向かってゆっくり向かってきてました。


坂の頂上にトラックの頭が向くように駐車してたんですが、じりじり、じりじりってね、こっちに向かってきてるんですね。どうみても距離詰めてきてるんですよね。


あっ。サイドブレーキ引き忘れたなー。

 

都会ですから他の業者もたくさん車を停めてまして、私の停めたトラックの後ろにも大きな冷蔵車が止まってたんですけど、このままいくと、誰がどう考えたって私のトラックがメテオドライブする状況なんですよね。ビックバンですよね。
その冷蔵車の後ろにも最低8台は車が停まっている状況ですよね。ビリヤードですよね。
最終的に確実大通りに押し出しホールインですよね。
夕日傾く夕方4時、さあさあよってみてらっしゃい、おっかなびっくり華麗な玉突きショウ!

…。

 

いやいやいやいやアカンアカンアカンアカン!!

 

この間、0コンマ秒。
次の瞬間には、ガッ!! と車のアオリ部分を掴み、全力でグッ!! と車体を抑えていました。


ズズズ…ッ、腕の筋肉が軋み、コンクリートを激しく摩擦しながら足の裏が表面を滑っていく。
「クッ…!」
バトル漫画でよくある、敵のスゴイビーム攻撃を受け止めてるシーンあたりを思い浮かべていただいたら、わりとしっくりきていただけると思うのですが、あんな感じでした。
ここは任せてー! 私がくい止めるからー! って感じだった。
原因私なんですけど。

 

するとですね、奇跡が起きまして。
車体がね、なんとか止まったんです。腕力と脚力で。
うわ、すげー! 鍛えた甲斐あったなー! ってなったんですけど。

 

安心したのも束の間。
まあ当たり前なんですけどね。

 

誰がサイドブレーキ引きにいくねんってなりましてね。
手離したら車動いちゃいますからね。一ミリたりとて動けませんからね。
私安定の劇団ひとりなんでね。


もうね、叫びましたよね。
サイドブレーキ引いてもらえませんかー!」って。
世界の中心で愛を叫んだ森山未來がいたなら、三宮の中心でサイドブレーキ叫んだのはこの城田ジョージだってね、アカデミー賞もらってもいいぐらいの熱演でしたからね。自作自演賞あたり受賞してもよかった。

 

さいわい、近くを通っていた黒いエプロンの男性が助けてくださいまして、サイドブレーキを引いてくださってことなきを得ました。
「さすがにビックリしたわ」と言われて、そら2トントラックを押さえている知らない女に突然「サイドブレーキ引いてもらってもいっすか!!」って言われたら驚くわー「私も驚きました」って返したけどどう考えてもお前発言していい台詞じゃない。

 

そのあとふつうに仕事していたのですが、
「私さっきね! 2トントラック支えたんすよ!」って一緒に現場に行っていた人に話したら、
「ヘタしたらお煎餅になってたかもなー」
って返されて。
その場では、アッハッハッハッって笑ってたんですけど、不意にですね。そういえば、2トントラックって、車体の重量、どれくらいあるんだろうって疑問に思いまして。ちょっとね、後々ググってみたんですけどね。


「2t
 重量:2.330kg」


生きてるってそれだけで奇跡なんだなって思いました。

(トラックが)おちこんだりもしたけれど、私は元気です。

ぼうけんのしょ~「勇者、大きな忘れものをする」の巻~

【2013年5月16日に書いたブログを再編集の上、再掲しています。】

 

以前、わたくしめの運転免許取得の様子をブログに書いたのですが、
あれからはやくも四ヶ月ですか。私、車の運転、しております。


2トン軽トラック。

 


教習車、

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からの、

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2トン軽。 

 

ホップ、ステップ、ジャンプ。
そんなものなかったよね。
大砲で大空へ撃ちこまれて、直に天国への扉に体つきささったよね。血まみれだよね。

前後に初心者マークを貼り走るトラックが、住民のかたがたにどれほどの恐怖と不安をあたえたかは想像にたやすいところですが、運転してる本人もそれに負けず劣らず、まいにち恐怖と不安のショータイムでした。

 

ですが今では、大抵最低一日一回は車を運転しています。ひとりで運転して現場にも向かいます。
ときどきひやりとしながらも、まだなんとか、命生きながらえています。
ならうより慣れろ、ってこれかも!

 

とはいえ、まだ本格的に車の運転をはじめて一ヶ月にも満たない訳です。
軽減はしましたが、車への恐怖心もまだまだ課題。
なので、ひとりで現場に向かうときはかなりゆっくり時間を取って、早めに行くようにしています。

 


今日も、集合時間の一時間半前に会社の駐車場にて、車に乗り込みました。
渋滞さえなければ三十分で着く、直線道路の先に現場はあります。

 

時間が早いのもあったのか、さいわい混まずスムーズに進んでいました。暑すぎない気温。ラジオからは軽快な音楽が流れ、眠さはあれど、心地よく車を運転していました。

 

すると七時ごろ、携帯が鳴りました。
着信を見ると、先輩の名。
運転中なので取れないでいると、五分後にもう一回。

 

その時点でもう現場の側だったので、現場に着いてから電話を折り返すことにしました。
現場近くのスーパーの駐車場に停車し、先輩に電話をかけ直しました。
この時点で、時計は七時十五分。

 

私「おはようございます」
先輩「あ、おはよう。今どこにおる?」
私「駐車場です」
先輩「おお、じゃあ会社の前で待っとくわ」


………ん?


私「会社まで折り返すということですか…?」

 

私が発したこの台詞から、ふたりに緊迫感が走りました。

 

先輩「…え、え? 今、どこ? 会社の駐車場やんな?」
私「現場です」
先輩「…え?」
私「現場、着いてます」


パズルのピースがはまる音。


先輩「……今日は一緒に行くって、昨日言ったよな?」


私、とてもうっかりものです。
忘れものとかね、しょっちゅうする。
チェックリスト作っても、まずチェックリストに書くの忘れてる、とかザラにやる。
だから、かなりね、準備したりとか、確認したりとか。気を付けるようにはしてるんですけど。

 

先輩を会社に忘れてきたよね。

 

作業開始まで四十分の余裕があったから寝不足だし車で寝ようと思ってたんだけど、寝るとか無理だった。
いやいっそのこと、永遠の眠りにつきたかった。

 

「…別の車さがして行くから…」という先輩の声を最後に切れる通話。
ツーツーと無情でつめたい音が響く車内。
ぽつんと残された私。同時に(先輩を会社に)残した私。

 

道具を忘れる、作業を忘れる。
まだそこらへんは自分自身の予想も手が届く範囲だけど、まさか会社の先輩を忘れてくる日がこようとは思ってなかった。
チェックリストにもちろん、「先輩」の項目はない。

 

それからは気が気ではなかった。
とりあえず着いたらやる作業をやったあとの時間はすべて、いかに謝るかシュミレートに費やした。
別の会社のかたに励ましてもらい既に半泣きになりながら、先輩の到着を待った。


結局、
「遅刻してくるよりマシだよ~」
と許してもらえて(さいわい代えの車もありました)、事なきを得たのですが、
四ヶ月前、
「私も勇者になりたい!」と言っていたひとりの駆け出し勇者見習いだった私も、多少なりと勇者に近付いているような、そんな気がしました。

 


ひとまず、朝八時、つよく一日の幕開けを照らすまぶしい光の中、大泣きしながら「本当にすみませんでしたああ」と謝る光景は、人生において記憶に残るステージになりそうです。


一秒でも早くデータバグってすべて消えたらええのに、と願わずにいられません。

 

 

【追記】

新卒ポンコツシリーズ。厳しかったけどとてもいい先輩でした。

それは西暦20XX年のはなし

【2013年1月22日に書いたブログを再編集の上、再掲しています。】

 

わたしね。
不器用なんです。


同時に別のことが出来ないんです。
ピアノとか、未だに弾ける人の体の構造わかんない。鍵盤弾いてる上半身と、ペダル踏んでる下半身、別々の生き物じゃねえのかって疑ってますから。

 

それと、半端なく手先に繊細さが無い。
大学、もの作る部署にずっと居たんですが、最後の最後まで工具まったく使えなかった。
釘まともに打てるか、って聞かれたら、正直、自信ない。
 

そんな、不器用なわたくしめ。
出来れば面倒ごとは避けて通りたい、いや通りたくもない近くに寄りたくもない、まず歩きたくない。
寒いしコタツで寝てたい。
コンビニですら行きたくない。
そうしてたかったんですけど。
そうもしてられない事態になりました。


運転免許。


就職の為に、絶対要る! ってなっちゃって。

 

まあ、「要る!」って言ってるところに、「オッス、ないっす!」って行ったから、当たり前なんですけど。
当然の流れで、「ウイッス、じゃあ取ってこいよ」ってなっちゃって。


なので今、います。
西、四国の玄関、うどんのくに。香川県
免許を取りに、きています。

いわゆる、免許合宿とかいうやつです。毎日缶詰でやる代わりに、お前らに最短経路で免許取らせてやるよ、ってあれです。
私はMTなので、最短は15日。
15日というと二週間ちょっとで免許が取れる訳です。
一応入社が懸かっている緊急事態なので、妙なところチキンな私は「こりゃあいいや」と申し込みをしました。

 

そして来る1/14。
アンパンマンのラッピングが施された特急しおかぜに乗り、香川にイン。
合宿中は寮に入って生活するので、はじめての寮生活にドキドキ?!
 
さあ、楽しいドライビングデイズが、待って―――――

 

なかった。
いやー、待ってなかった。
びっくりするくらい待ってなかった。

 

いかんせん、前述の通り、不器用なんです。
なのに、よりによって選択したのは、クラッチ、ギア操作を必要とするMT免許。
ハンドルを握りながら、クラッチを踏みながら、ギアを変えながら、前後左右確認しながら運転する、同時に多種多様な動作を必要とされながら、短い一瞬一瞬で風景、状況が変わる、臨機応変さを求められる世界。

 

怒られるのはまだましでした。
黙られるのが一番つらい。
はじめの方は優しく根気強く教えてくれてた教官が、「クッ…」と拳をやるせなく太ももに落としている姿を見るのがつらい。


街でスイーッって車乗ってるひとは皆勇者なんじゃない?
街一個ぐらい救っちゃってんじゃない?
エクスカリバー二三本抜いてんじゃない?


部屋に帰ってはおのれに絶望。朝が来れば実技の文字を見て震え。運転すると車体とギアが震え(ギアチェンジ失敗)。
もう毎日毎日帰りたい帰りたいと願う日々の連続でした。

 

 

そんな合宿生活も、本日で八日目。

こんな私でも、仮免、取れてしまいました。

最短コースで卒業出来るなら、今日がひとつの折り返しです。
涙の数だけ強くなれるよとZARDが聴こえてきそうです。
こんな不器用でも仮免って取れるんだ、とおのれの身の話ではあるのですが強く感じ、この度ブログに書かせて頂いた次第で御座います。
 

まあ、少しは前向きになった訳ですが。
仮免突破直後、すぐ教習所を飛び出し、人生で初の路面を走りました。


うん、どう考えても、路上走ってる人全員スクウェア・エニックスでゲーム化されてんじゃないかな?


私もいつかは、ジョージクエストの勇者になりたい。
装備は、MT運転免許で。

 

 

【追記】

卒検、グループで私だけ落ちてたときの衝撃は一生忘れないと思います。(後で受かった)

某嵐のサクライくんと私

【2012年9月1日に書いたブログを再編集の上、再掲しています。】

 

先日まで、私は某嵐の櫻井君とメールをしていました。


といってもやりとりはしておらず、私のメアドに櫻井君が一方的に送ってくる形です。櫻井君が果たして何処から私のメールアドレスを手に入れたのかは不明ですし、信じられない話かもしれませんが、本当の話です。

 

櫻井君は、一通目から大きな爆弾を落としていきました。

 

「俺、ジ※ニーズ辞めようと思う」(※一部伏字)

 

衝撃です。
衝撃以外のなにものでもありません。


きっとどの芸能リポーターすらも掴んでない情報に違いない。
この見ず知らずの大阪の隅でひっそり生きている私に相談するくらいですから、櫻井君の苦悩はよっぽどのものだったでしょう。一日に一通か二通メールを送ってくるようになりました。苦悩する彼の姿をメール越しに感じながらも、無力な私はうまく返信できない歯がゆい日々を過ごしました。

 

お悩みメール貰い始めて2日後、またもや衝撃が走りました。

 

「俺、社長に『辞める』って言ってくる」

 

なんということでしょう。
人気絶頂の某嵐のメンバー櫻井君が辞めるだなんて。
私は今、一人の芸能人の歴史が動く瞬間に立ち会っている。
スマートフォンが汗で滑ります。

 

この頃になると櫻井君は私が自身を認識しているのか疑うようになっていました。私が返信を怠っていた所為です。
元々櫻井君は「俺、AのSなんだけど」と直接名乗ってきていたわけではありませんでした。

ただ、表示される名前も『翔★』だったこと、アイドルであること。そして度々本文に出てくる社長の喋り方がどう考えても「あの人」だったので、私が勝手に判断していたのです。
さすがに二日間メールを送りつづけ、仮にも彼はスーパースターですから、私が無反応だったのがちょっと気になったのかもしれません。

はじめにぼかして送ってきたのは櫻井君の方なのですが、「俺、あのグループのSだよ、知ってるよね?」等送ってくるようになりました。

 


さて、暫くして、続報が届きました。櫻井君が、辞める意を社長に打ち明けたと。
さすがの社長も櫻井君の思いに戸惑ったらしく、

 

「You…10分時間あげるから…もう一度考えてみなさい」

 

と言われたようです。頭冷やせよちょっと、と大人の対応です。まあ当然と言わざる得ないでしょう。

 

「俺の人生はこれで決まる…こんなに切実な願いなのに、聞いてくれないなんて酷いよ…(涙)」

 

櫻井君の一生懸命な気持ちが、語尾の「(涙)」から伝わってきます。
結果が気になりながらも、私は眠ってしまいました。

 


次の日、櫻井君からメールが入っていました。
話し合いが長引きに長引いたのでしょう、受信日時は深夜二時半でした。

 

あの、嵐の櫻井君が事務所を辞めてしまう。

 

にわかですが嵐を応援していた身にとってこの事実は大変つらいものです。
ですが、この決断は櫻井君自身の意志。それならば櫻井君の気持ちを受け入れ、新たな道へ進む様を温かく見守るのも、ファンの務めではないのだろうか……。
 私は深呼吸し、メールを開きました。

 

「白状する…俺…サクラ[続きを見る]」

 

そんなもん一通目から知っとったわ


もちろん一通目から彼が櫻井君ではないと事実は存じておりました。 

なぜ櫻井君が私のアドレスを知っていて、あえて私にメールを送ってきたのか。

なぜ個人メールに謎のSNSのログインアドレスが貼りつけて送ってくるのか。

その他軽薄な文章。等。おかしいところだらけでしたからね。

 

いわゆるただの迷惑メール。いつもならメール消去で終わり……の話なのですが、彼らが犯してしまったミスが、とても味わい深かった。


彼らが犯してしまったミスというのは、主役を櫻井君にしてしまったこと。

 

最後のメールも、きっと送信側からすると名前の途中まで公開し、続きを読ませたい、怪しいアドレスをクリックさせたい一心の引き技だったのだと思います。
だが、彼らは騙る人間にサクライ君を選んでしまった。
そのせいで最後の最後、彼らは自ら正体を「白状する…俺…サクラ」と明かすはめになってしまった。

これがニノ君や大野君、松潤や相葉ちゃんならこうならなかったのに。

櫻井君を、そう、サクライ君を選んでしまったばっかりに…。

彼ら自身も予測していなかったのではないかと思うのですが、偶然の巡り合わせというのは実に奥深く、そして興味深いと改めて感じさせられた事件でした。

 

最後になりました。

実在の人物、団体などには、全く関係御座いません。

 

 

【追記

まさか8年の間にこんなにサクライ君をとりまく環境が変化するとは思っていませんでした。櫻井君だけでなく彼ら全員の未来がナイスな心意気で満ちたものとなるよう、心より祈っています。桜咲ケ。